ゼロがいい

条件が揃えば審判はゼロで構いません。

条件は「選手が12才以上で歩行が出来ること」

小学校高学年くらいであれば、簡単な審判業務は出来るものです。

選手自らが審判をやることをセルフジャッジといいます。
メリットは審判負担が大幅に下げられることです。

ボッチャでは他競技にある「OBが審判を担う」ということがまず起こりえません。
加齢による引退がほぼ起きないからです。

では審判は誰がやるのかというと選手経験の少ない人がやることになります。

・・ここでぶっちゃけた話をします。

ミスジャッジしますって。
だって選手の経験ないんですから。

マスターするには審判の練習をやる必要があります。
でもそれいつやるんですか。
選手の練習中は出来ないです。邪魔をしちゃ悪いから。

私にはトラウマがあります。
ある大会で若い審判ボランティアの男性が年配の選手に怒られていました。

怒りの原因は「ルールブックを理解していない!勉強しろ!」というもの。

ボランティアを頼んだのは私です。

この審判さんには謝りたい気持ちでいっぱいになりました。
この男性は「引き受けるんじゃなかった」と大なり小なり思ったと思います。

ボッチャは審判にかかる負荷が大きい。
審判問題は深刻だと思います。

すみません、話が少々脱線しました。

テストしましたがボッチャの審判はゼロがいいです。

審判ゼロだとラインクロスの判定がおろそかになります。
※ラインクロスとは線を踏んで投げてしまう反則のこと。

・・でも別にいいんじゃないですかね。

そのラインクロスは試合を決定づける反則でしょうか。
悪意を感じますか?

線を踏んだ、踏まないのために審判雇いますか。

審判ゼロから発生するデメリットは確かにあります。
でもそれは選手全体でシェアしませんか。

審判を不要にすれば、先述の「年配の選手に怒られたボランティアさん」の悲劇はなくなります。

多くの人がプレーヤーになり競技を楽しめます。

嫌な思いをする人が減って、楽しい経験をする人が増えるんです。
審判をゼロにすれば。

私はボッチャで悪意ある反則をする人を見たことがありません。

レクリエーションでボッチャをするなら審判はゼロがいいです。

ゼロになろう

安心していただければと思うのですが、ボッチャのような反則が起きにくい種目は審判ゼロは普通のことです。

例えば姉妹競技のカーリング。

カーリングは審判ゼロの代わりに「カーリング憲章」を掲げ反則や妨害を心理的に起こさせにくくなっています。

カーリング憲章にはスポーツマンシップの遵守が求められています。

「わざと反則するような人はカーリング選手ではないですよ」と選手の良心や誇りに訴えているのです。

先日、サッカーのロングスローが話題になっていました。
ロングスローは両足が地面についていなければ反則になるそうです。

ですが足がついている、いないの判定は非常に難しい。
露骨に離れている場合は別ですが、怪しい場合は反則をとらないそうです。

ボッチャに審判がいるのは、そもそもがパラリンピックスポーツだからです。

車椅子に乗る選手はセルフジャッジが困難です。
パラリンピックは世界中にTV放送される世界最高峰の舞台です。
審判が3人必要で、厳格さが求められるのはパラリンピックだからです。

このHPに来られる方は世界最高峰を決めたいわけではないと思います。

カーリングが審判ゼロです。
ボッチャもゼロで成立するんです。
※もちろんセルフジャッジが難しい選手の場合は審判が入ってください。

ゼロだから出来ること

セルフジャッジを採用すると大会開催コストが大幅に下がります。

特に1対1の個人戦大会開催が容易になります。

個人戦の面白さは団体戦とは別格です。
多くの人が個人戦の面白さを経験しないままでいます。

これは大いなる機会損失だと思うのです。

セルフジャッジで個人戦大会を開催してみてください。
ファンが増えますよ。